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2009年2月

宇宙戦略〜エンターテインメントとしての宇宙開発 1

宇宙戦略についての議論が様々な所で盛んに行われています。私もこのブログを通じて参加したいと思います。私は文学部の国文学専攻を卒業したバリバリの文系人間で、技術的なことには疎いのですが、小松左京で卒論を書いたSF好きでもあります。なので、ここは敢えてずれた話をしようと思います。題して、「エンターテインメントとしての宇宙開発」

私は地方の民間放送で記者をしています。その取材活動の中で、宇宙開発に挑む学生の取材をしてきました。そしてそれを放送するに当たって、常に感じているのが、一般視聴者と宇宙開発に取り組む側との意識の隔たりです。
ロケットだ、宇宙だ、と言っても、興味があるのは実はごく一部の人たちで、ほとんどの人にとってはどうでもいいことなのだ、と言う事実を、何度も見せつけられてきました。学生たちが必死になってロケットを打ち上げるイベントを放送しても、反響らしい反響がありません。私の力量不足が大きいとは思いますが、社内的にも、「わかりにくい」「意味がわからない」「個人的趣味」という反応が多く、やっぱり宇宙というのは大抵の人たちにとってどうでもいいことなんだろうなぁ、と思ってしまいます。
この状態で宇宙戦略について論じても、まず、大抵の人たちにとっては全く関係のない話で終わってしまいます。大方の国民は、宇宙開発に税金を使ってもらいたい、なんて思っていない。できれば少しでも税金を安くしてほしい。年金がしっかりもらえるようにしてほしい。子供の医療費をただにしてほしい。・・etc・・etc。すると、何が起きるか。どうやったら納税者をごまかして、どんな名目をつけて(実際とは違う目的に)税金を使わせるか、という話になってしまいます。そして納税者たちは、ますます宇宙開発に縁遠く、場合によっては嫌いになってしまいます。こんな状態で、国家的な宇宙戦略なんて立てられるんでしょうか?

これは、日本モデルロケット協会の方から聞いた話なのですが、ロケット花火の親分みたいな、モデルロケットのエンジンというのは、ケネディ大統領が(確かNASAに命じてだったと思います)開発させたものなのだそうです。
スプートニクが打ち上がってからというもの、アメリカ中の子どもたちが我も我もと鉄パイプに黒色火薬を詰めて打ち上げ、民家のガラス窓を割る事故が頻発した。ケネディはこれを禁止させるのではなく、安全に打ち上げることができるロケットを若者に与えよ、そしてアメリカ中の学校で、理科の授業でロケットを打ち上げさせよ、と命じた。
こうしてアメリカ人は、ロケットを飛ばす楽しさと、何よりもその難しさを体験することになったのです。月着陸を目指していたケネディは、これによって宇宙開発に理解のある納税者を育てようとしたのだそうです。ロケットづくりの楽しさと難しさを知っていれば、開発の過程で失敗があったとしても、すぐに止めてしまえ、と言うことにはならないでしょう。これまでに多くの犠牲者を出してきたスペースシャトルにしても、失敗したからもうやめよう、と言うことにはならなかったのもそのせいだったのではないでしょうか?

これに対して我が国は、民間レベルでの宇宙開発に対する理解を浸透させようと言う取り組みが、ほとんど行われていません。これがないとどうなるか、と言うことを示す格好のエピソードが、我がふるさとにはあります。
私が住んでいる秋田県は、戦後、日本で初めてロケットが打ち上げられた場所です。岩城町(現在の由利本荘市)道川海岸で、1955年8月、糸川英夫博士のチームが作った、ペンシルロケットの、初めての垂直方向への打ち上げが(水平方向の発射は4月に東京で行われていた)行われました。それ以来、6年間に渡って数多くのロケットが打ち上げられました。最高到達高度は200キロに達し、これ以上上がると中国や北朝鮮に行ってしまうかも、と言う心配がささやかれるほどになっていました。
そうしたなか、1962年5月に行われた実験で、初めての大きな事故が起きたのです。(上昇中のロケットが爆発、破片が飛び散って民家の土蔵を壊した。人畜に被害は無し。岩城町史より)逆に言えば、それまで技術的トラブルはあったものの、60回以上の打ち上げの中で、事故らしい事故は1度も起きていなかったのです。
地元の人たちは、ロケットというのは安全なものだと思いこんでしまった。さらに、糸川先生のチームも、夢を拡げる話はするものの、注意を喚起する話は、ブレーキがかかることを嫌ってかほとんど話していなかったようです。このため、地元の人たちは一発でぶるってしまった。「もう止めてほしい」「出て行ってくれ」地元の人たちはロケット実験なんてこりごりだ、と言うことになってしまったのです。短期間に目覚ましい成果を上げ、世界的にも注目を集めていた実験場を、たった1度の事故で追い出してしまったのです。
もっとも、その当時鹿児島県の内之浦に新しい実験場が建設中で、秋田ではいずれ打ち上げができなくなるだろう、と言われてはいたのですが、向こうの都合で出て行くのと、追い出してやるのでは、対応が全く違ってくるでしょう。岩城町には結局、ロケット発祥の地、という石碑が一つ残っただけで、後は何も無くなってしまったのです。
このエピソードが示すように、宇宙開発は、一般市民の理解無くしては進められないものです。

そのために、何をすべきか?また日を改めて書きたいと思います。

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「庭から昇ったロケット雲」見ました(ネタバレ有り)

このブログを始めるきっかけだった映画「庭から昇ったロケット雲」は、結局わが町の映画館で公開されることはありませんでした。残念です。残念ですが、しょうがないので、DVDで見ました。う〜ん、DVDで見たせいかもしれない、と思うのですが、ちょっと・・・。と言う部分と、激しく感情移入できた部分が混じり合っていました。

まず、ロケット。すごく立派で、ありそうなんだけど、あんなものを一人で作った、と言うのはあまりにも非現実的。親父が乗って、息子が1人で地上管制やって、地球を一周して帰ってくる、と言う流れは、もはやファンタジーとして見るしかないな、と言う感じです。確かに、牧場の納屋から打ち上げられたロケットは美しかった。この映像を撮影するための設定だったのだろうな〜。
そんな中で、ブルース・ウィリスが出てくると、いきなり画面が現実味を帯びてくるのはさすが。やっぱり役者と言うのは存在感が大事ですね。
あと、前半で奥さんとけんかしたり、幼なじみから金借りて返せなくなって絶交したり、と言った身につまされる話は現実味も生活感もあり、感情移入できました。
あと、主人公が宇宙にこだわる訳を分析したカウンセラーが言っていた、父親に対する敵意、というのは、よくわかる。この部分では激しく感情移入できてしまった。
この主人公は父親が死んでしまったため、故郷の農場を継がなければいけなくなり、宇宙飛行士の夢をあきらめたのだったが、私は小さい頃、小学校2年生くらいの頃だったと思うが、父親から宇宙飛行士の夢をつぶされたことがあります。アポロの月着陸が半年に1回ずつ行われているような時代、私は毎日毎日、宇宙宇宙と大騒ぎしていた。そんな私に父親は「宇宙飛行士と言うのは、アメリカ人かソビエト人でなければなれないのだ。日本は月ロケットなんか作ったりしない」と言ったのでした。
こう言われて、涙ながらに月を見上げてあきらめてしまうような人間だったのだから、所詮宇宙飛行士にはなれっこ無かったんでしょう。ある宇宙飛行士は子供時代に父親から「宇宙に行くなんて、そんなことできる訳無いだろう」と言われた時、「この人はこんなこともわからないのか。しょうがない人だ」と思ったのだそうです。
考えてみれば、「遠い空の向こうに」でも、鉱夫をしている父親への反発、というのが重奏低音として流れていました。果てしなく遠い所に出て行く、行こうとする若者、というのは、実は父親を乗り越えようとしているのかもしれない。父親を乗り越えるためには、夢をかなえなければならない。そんなストーリーに共感してしまうのは、私がいまだに子供の頃のことを引きずっているからなのでしょう。

ファンタジーとしか言いようの無い設定にシラケてしまう部分はあるものの、主人公の気持ちには結構感情移入ができた。あと、子供たちがめちゃくちゃかわいい。と言う訳で、まずまず楽しく見れた映画でした。

ちなみに父との関係ですが、まぁ、向こうも年だし、年寄りいじめてもいいこと無いだろう、ということで、今は仲良くやってます。でも、心の中にはまだ・・・。だから宇宙に行きたい、なんて言ってる訳なんですが。

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